まいにちの楽しみ

千夜一夜のお話…毎日の発見を分かち合えたら。

子供は〇〇と主体的にかかわれるのか?

〇〇と主体的かかわる。

例えば、幼子のいる家庭で、

「テレビをずっとつけてて何が悪いの?」

というお母さんにたまに会ったのだけれど、この話の肝は、

「子供は『テレビ』と主体的に関われているのか」という問題だと思う。

◯◯番組がみたいから1時間見る、なのか1日中テレビをつけっぱなしで垂れ流さされた映像を眠るまで見ている、なのか。

さて、一つ前に戻って、そもそも幼子はテレビと主体的にかかわることができるのでしょうか?

興味を引く番組の仕掛け、目を逸らさせないCM、技巧を振り絞って考えられた映像の数々。産まれて数年の子供がこれらの映像と向き合うということは、例えれば「有段者と初心者の組み合い」。

さらにテレビというものに倫理上の「手加減」があるかどうか。例えば倫理委員会。映画なら映倫マーク。これはYouTubeSNSに繋がる話だが、倫理の名の元に真実が隠されるので、これら抜きの方が心の極限状態を味わえるからどうしたって人気があがる。

問題はその極限状態が「受け身」であること。

例えば、殺し合いの真似事チャンバラも一種の極限状態だが、目の前に生身の人間がいて、刀があたれば痛い、と叫ぶ。そうやって人間というものを学んでいく。

先のお母さんのような人には、

あなたの子供はとある競技に初心者として立っています。

相手は手練の有段者、子供であろうと勝ち続ければ金がもらえるというので、あなたの子供は1日中受け身で床に転がされ立ち上がれないようにされている。頭もぶつけてるようだが、慣れすぎて傷だらけということにも気がついてない。

と話せば納得するのだろうか。

射倖心の強いギャンブルも依存性の強いストロング系の飲酒も、深夜まで終わらないゲームも「有段者」(提供者)である相手は規制という名の「手加減」をさせられているが、お金が入ってくる以上はギリギリの手加減で責めてくる。

で、この規制が未だゆるゆるなのが、インターネットの世界。

スマートフォンを小中学生にぱっと与えている親御さん、つまりそういうこと。

親が規制者になるしかないのだが、現代の忙しい親はそこまで面倒みれるのでしょうか?

ちなみに今の学校では基本ネットトラブルは校内の人間関係であろうとノータッチで、警察に行ってください、というスタンス。

中学など進級後はクラスLINE1000件など当たり前で、深夜までなりっぱなしだという話もよく聞く。

想像力をもつって大変なことですね。