それは運を拾えそうか?
何かに葛藤したら、こうしてみよう!の練習です。
好きでもないのに将来得するだろうとか、たまに嫌味を言ってくるけど悪い人じゃないから付き合うとか、◯年もやったのに止めるのはもったいないとか、なんか好きじゃないけどブランドだから捨てられない、など無理な注釈を付けている場合、だいたい失敗してます…
何かに迷っている時、損得や嫌われたくない気持ちに目がいって、判断を間違えてしまうのが人情。
私も間違えがたくさんあります。
弱いのは「昔お世話になってるからなあ…」です。
よく考えてみたら、恩ってだいたいその時に返していることに気付きます。
さて、どうしたら間違いを防げるのか?
ある時、「その選択は運を拾えそうか?」と自分に聞いてみることにしました。
このアイデアのヒントは、ある日子供がテレビで、大リーガー大谷翔平君が「球場でゴミ拾いをしているのは、人が捨てた運を拾っているから」という話を聞いたところから。さすが大谷君(ちなみに大谷君は勝つには運も必要だという考えを持っているようです)
早速練習してみます。
例えば、◯◯さんと一緒に事業をしたら、私は運を拾えそうか?という文脈に変えます。
儲かりそうとか、人脈が増えそうとかではないので、ふわっとしていますが、そこがポイント。
では、この仕事を続けていたら運が拾えそうか?
ちなみに、得をしそうか?ではないのです。
この友人と一緒にいたら運が拾えそうか?
今日のランチはA定、B定、どちらが運を拾えそうか?
ん?
片付け術こんまりさんの、ときめくものを選ぶ、spark-joyに似ている…?
ちょっと違います。胸が高鳴る高揚感ではなく、あくまで運、です。気付き、に近い?
大谷君が球場で拾っているものはきっとそれではないかと推察。
ちなみに、拾った運は一体何かは分かりませんが、幸せにつながるものには違いないと思います。
さて、今日は運が拾えそうでしょう?