まいにちの楽しみ

千夜一夜のお話…毎日の発見を分かち合えたら。

5分で忘れる

知人の家に招かれました。このようなご時世なのでお庭に案内してもらいました。

素晴らしく手入れされた今風の日本庭園に、とてもモダンな家。家具もインテリアも素敵な物ばかりです。

恵まれた環境にいながら、彼女は浮かない顔でした。周りが思うように協力を得られず、ひとりで育児をしている辛さ、悲しみがひしひしと伝わってきました。

とはいえ、これだけ豊かならば完璧ではなくとも解決策(妥協案)が出せるはず?

究極解が家事育児を自らの手で自分が願うようにする事ならば、私の考えは他人の手を借りて自分の時間を増やす「現実解」です。

例えば家事代行を依頼したりシッターさんを雇ったり。あるいは幼稚園をやめて保育園にして、体を休める時間を増やす。

しかしそれらは全て難しそうでした。

なぜでしょう…

ところで、このように人から悩みを聞かされた際、その気持ちを一緒に背負ってしまう人がいませんか?

優しい人に多いですね。

それはしなくてよい、というのが私の結論です。

話は聞きますし、心配も共感もしますが、別れた後まであれこれ気を揉む必要はないのです。

弊害は2つあって、一つ目は相談者は後に非常に良いことがあって、すっかり機嫌が治っているような場合、私の気配りは全て無駄な妄想になります。

もう一つはあんなに相談に乗ってやったのに!と恩着せがましくなってしまうこと。これはいただけません。

なので、私は別れたのち、5分で忘れる努力をしています。話が長引きそうな時は相手の心の健康のためにも切り上げます。

先程の相談からも気付かされますが、人の悩みというのは「私の期待通りでない」ことがほとんどです。

こう表現すると、「あれっ?自分って生き物はずいぶんと自分勝手だなあ」と思いませんか?

怪我や病気、いじめや法に触れるような場合は具体的に解決しなければなりませんが、それ以外は「私の思った通りではない現実に失望してる」だけなのです。

努力が実らない場合、解決策を見つけるのは難しく、残る唯一の方法は「期待値を下げる」なのですが、たいていの人は拒否します。

私もかつてはそうでした。しかし最近では努力しても悩みが解決しなさそうな場合は、さっと期待値を下げてしまうことにしてます。そしてまた、そこから出直せば道が開けてきます。気分が良いので頭が良く働き、結局は色々と上手くいきます。

勇気は要りますが、一度試してみると、なるほど!となること請け合いです。

みなさんの悩みのタネが幸せの花に変わりますように…