まいにちの楽しみ

千夜一夜のお話…毎日の発見を分かち合えたら。

なぜ、自然体験が大切か考えてみる

前回の追記です。

経験することが大切だ、と書いてしまってから、はたと思い出したことがあります。

コロナ前は時折、子供が学校経由で自然体験やアウトドア活動の案内を持って帰ってきていました。

例えば、キャンプや釣り。○泊○日の夏休み○○アウトドア体験などなど。

「たくさんの体験がお子様の成長を育みます」といった趣旨の文が掲載されていることが多いのですが、「なぜ、体験を増やすと子供の成長に良いのか?」についてはあまり書かれていません。

「何となく、自然体験やアウトドアって子供にいい気はするのよね…」、私の考えはその程度。

企画を主催する方々はその素晴らしさを経験的に知っています。が、いかんせん体験なので、文章にするというのが難しい…

そこで、自分のためにも頑張って言語化してみました。(ニュアンスに違和感がありましたら、ごめんなさい。)

1つ目は「価値を発見する」。

2つ目は「理不尽を知る」。

価値を発見って何?意識高い系?とか、将来稼げる大人になるの?とか聞かれそうですが、ああすればこうなる式やコストパフォーマンスの話ではありません。

どんな視点を持った大人になって欲しいのかという話です。

1つ目の「価値を発見する」ですが、体験を増やすと価値の物差しが増えるのでは?という仮説です。

例えば、川に入ると、思っていたより流れが早く力強くて驚きます。斜面の勾配が急だと水が早く強く流れるのだな、と気がつきます。(その価値を活かしているのが水力発電などでしょうか?)

例えば、釣りに行ってみようという事で海に行きます。釣りたての魚はお店のものと比較にならないくらい美味しいです。しかも無料です。

釣りたての魚を食べて、鮮度が大事という「価値」を発見します。(その価値はクール便や産直に活かされているのかな?)

さて、2つ目の「理不尽」の例について。

釣りには道具の準備が要ります。当日も釣り糸が絡まったり、何時間も釣れなかったり、お目当ての魚に逃げられたりという状況。忍耐やら悔しい思いやら、様々な事があります。

幸い釣り揚げた後も、ぬるぬるした魚をつかんで、釣り針をとるのに苦労したり、さばいてみたらお腹の中から食べられた小魚が出てきて、「ギョギョ魚ッ」とします。弱肉強食、なんとも理不尽です。最後にタコが釣れ大騒ぎになって帰路につく…。予定外です。

自然体験の素晴らしいところは、その美しさや神秘に驚き感動すると共に、汚いものや目を背けたいもの、面倒なことや理不尽が「不可分に在る」ということを五感で解ることではないでしょうか。

そしてそれが私達の世界、そして人間そのものなのではないかと思うのです。

さて、ディズニーランドはここで考えた「体験」なのか?と考えてみました。

夢の世界は完璧で楽しいですが、ちょっと素晴らしすぎる気がします。突然パレードを荒らす不埒者もいないし、理不尽はありません。全てが予定通りです。

あつ森も楽しいですが、汚いものはありません。どんなアイテムも生魚のようにぬるぬるしていません。バグれば電源を落として終了です。

これは人間の生きる本当の世界ではないです。

たまに学校の遠足でディズニーランドやUSJに行く、という話を聞くと、昭和時代の社員旅行の定番、温泉やゴルフ旅行を思い出します。

これは「慰労」ですね。ちなみに慰労はお金で買えます。

他にもキャンプに似たレジャーで、グランピングなるものがありますが、こちらは「慰労」なのか「体験」なのか、どちらなのでしょう?

何が、この世界を生き抜かねばならない子供のためになるのでしょうか?

ちょっと真面目なお話でした。

今日も発見がありますように…